とりあえずのこれが結論なのか…?

この日曜朝8時半というアニメタイム。
4年間のどれみがあり、1年のナージャがあった。
それぞれに個性があり面白い作品達であった。
賛否はあると思うがそれぞれがそれぞれの道を全うしていった。
今年始まったプリキュアプリキュアとしての道を歩んでいくはずだった。
…少なくとも自分の中では。


ところが今回の話によってプリキュアは、どれみという作品になってしまった(戻ってしまった)
のではないか?
プリキュアプリキュアであるという作品の道を歩むところを、すでにどれみが歩んできた道に戻ってしまったのではないだろうか?
キャラクターや設定だけを変えたどれみになってしまったのではないだろうか?


もちろん作っている人間が同じなので、どうしても物事(テーマ)へのアプローチの仕方や表現の仕方、演出が似通ってしまうのは致し方が無いことだとは思う。
でもだからこそ友情というテーマは同じでもプリキュアという素材を活かした物語、作品にして欲しかった。
だがそれにはまだ作品としてのカラー、キャラクターの方向性それを取り囲む環境が固まりきってはいなかったと思う。
スタッフも理解していたわけではないと思う。
そう考えると、1クールも終了していないこのタイミングでは、やはりこのお話をやるには早すぎたのではないだろうか?
もっと時間をかけてプリキュア全体の物語のカラーを熟成させる必要があったのではないだろうか?


現在よく拝見させていただいているサイト「The '90s is not END」のいずみのさんが3月21日の日記で書かれておりました。


>脚本的には満足でしたが、五十嵐卓哉による演出が「どれみ」らしすぎて、
>少し作品のカラーを崩しているのでないかと思いました。


>影や光線効果を多用した画面づくりは、子供心にも「なんか今日はただごと
>じゃない話みたいだぞ」と思わせるものだったでしょうが。
>いかにも「大人の観賞にも堪えます」的な飽きさせないコンテ割、
>シリアスとコミカルの同居、妙に大人びた友人達の言動……とかを見ると、
>それはやはり「どれみ」なのでは?と、少し残念な気分にも。


きっとこれが自分が求めていたであろう答えのひとつにかなり近いものなのではないだろうかと思う。


そしてもうひとつ、2ちゃんのスレで書かれていた一文がもうひとつの答えを導き出したかも知れない。


96 名前:風の谷の名無しさん 投稿日:04/03/23 19:52 5LXHNyuo
>>74
>亮太や莉奈、志穂のキャラ設定が固まってきたのかな
>ここからリスタートって感じだなぁ
>そういう意味では8話は“最終回”だったのかもね


自分が漠然と感じていたもうひとつはこのことだったのかも知れない。


固まりきっていないキャラクター達、そして環境設定、脚本や演出。
もしかするとひとつの形が、この第8話で決まった(固まった)のかもしれない。


つまり自分が第1話から大好きで観ていたプリキュア
それは実は、いままでスタッフが新しい魅力ある物語やキャラクターを作ろうとして試行錯誤していたひとつの“不安定な魅力”というものを一番強く映像から感じ取って、そこも合わせて好きだった作品だったのかも知れない。


“不安定”


そしてそれは劇中のながさとほのかの関係にも通じるところがあるのではないだろうか?


「全く性格の違うふたり」、「突然プリキュアになってしまったとまどい」。


自分は意外とそんなところと現実(スタッフの試行錯誤)というものを被せてしまっていたのかもしれない。


そしてその不安定な状況は第8話の演出と脚本でひとつの形を得る。
(特にそういう“形作るための意図”をスタッフが込めていたとは思わないが…)


つまりそれがいままで自分が見ていた“不安定なプリキュア”という作品の最終回だったわけである。
だからその最終回を迎えてしまったこと(実際は最終回じゃないわけだがw)が悲しくて、それを心が認めさせないようにしていたのかも知れない。
きっと第9話からを“新たなるプリキュアの始まり”“再生”として真正面から受け止めればもっと素直に喜べるのかも知れない。
もしかするともっと楽しめるのかも知れない。


個人的な気持ちとしてはここら辺が正直なところなのだと思います。


本当はこんなことは単なる個人的杞憂であり、これからも不安定な要素バリバリで楽しんでいけるのかもしれないけどね。
こんなこと論じてる自分が「マヌケだなぁ」って思えるようになって欲しい。
そう思いたい。


全然理論的じゃないね。
本当に学が無いなぁ、オイラ。


とりあえず第8話の感想はここらあたりでまとめておきます。
たいした文じゃないけど読んでくれた人がいたらありがとう。